高知縣護國神社 歴史

 


明治元年(1868年)、土佐藩 山内豊範(やまうち とよのり)が藩校高知致道館(こうちちどうかん)で、迅衝隊などの東征に従軍し陣歿した藩士105柱を招魂し、その御霊を鎮祭するため、現在の五台山大島岬に大島岬の地に社域を定め、翌年の明治2年に建社の土地に因んで大島岬神社(おおしまざきじんじゃ)と称して社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したことに始まる。 明治8年5月31日に招魂社と改称、昭和14年(1939年)に高知県護国神社に改称して特定護国神社となった。第二次大戦後は占領下における宗教法人令によって国の管理を離れ、社号も元の大島岬神社と称していたが、崇敬者多数の熱望により、1959年(昭和34年)元の社名に復した。1966年(昭和41年)7月1日、神社本庁の別表神社に加列する。