忌宮神社 特殊神事 数方庭祭(すほうていまつり)
8月7日から13日まで7夜に渡って行われる祭である。仲哀天皇7年、新羅の塵輪(じんりん)の扇動で熊襲が豊浦宮を襲撃したが、仲哀天皇自ら弓矢を取って塵輪を討ち、熊襲を撃退した。戦勝を祝い、塵輪の屍体を囲んで踊ったのが数方庭(すほうてい)の起源であると伝える。諸国につたわる神楽舞に塵倫という演目があるがこの伝説がもとといわれる。一説では塵倫は巨大な怪鳥であったともいわれ数方庭祭を斎行しなかった年に長府の空を大きな鳥の影が飛び疫病が流行った。
塵倫の祟りだと考えた神社、また長府の町民が7日間数方庭祭を続けたところ疫病が治まったことから一週間祭りを行うとも、神功皇后が7日7夜の間、忌籠りされて天地の神々に戦勝を祈願されたという伝説、仲哀天皇の追悼の為、7日間喪に服したことからなど諸説ある。この7日間は後述の御斎神事期間の由来と同様とされる。
「すほうてい」は他に「スホーデン」「スッポウディ」などと呼ばれ、「数方庭」の他にも「数宝庭」「数方勢」などの当て字がある。朝鮮半島の「ソッティ」「スサルティ」など音が似ている語との関連も研究されている。
境内中心の鬼石のまわりを男は幟(のぼり)、女は切り籠と呼ばれる笹飾りを持って舞う、幟は最大30m、100kgにもなり修練が必要となる。もとは戦勝祈願と同時に敵の大将である塵倫や戦で命を落とした者への慰霊・供養の祭であったと言われるが数方庭が数宝庭と書かれたことや様々な信仰が混じり合い、現在は五穀豊穣、子孫繁栄、厄難退除、先祖供養などの祭となっている。