豊榮神社 歴史
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗戦により、同年安芸国から長門国に移封(いほう)された毛利輝元が、萩江向村(はぎえむかいむら)の春日神社境内に祖父元就の霊(元就公)を祀ったのが前身で、同12年には春日神社は萩城(はぎじょう)の三の丸に遷座されたが、宝暦12年(1762年)、長州藩主 毛利重就(もうり しげなり/しげたか)が萩城二の丸に鎮座していた土地神社を改造して春日神社から元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命(あめのほひのみこと)と合祀して神性霊社と号したのが直接的な創祀である。明和7年(1770年)には元就公を仰徳大明神(こうとくだいみょうじん)と称して改めて主祭神とし、神社名も仰徳社(こうとくしゃ)と称した。
明治2年(1869年)、元就には正親町(おおぎまち)天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇は弁事 五辻安仲(いつつじ やすなか)を宣命使として差遣して祭神(元就公)に「豊栄」の神号を与え、山口市の多賀神社(たがじんじゃ)境内に仮殿を構えて仰徳社を移祠し豊榮神社と改称した。同4年、岩倉具視が勅使として差遣されて剣1口を奉納し、同年現在地に現社殿が造営されて遷座、同6年に県社に列した後、同15年(1882年)には別格官幣社に列格した。
※移封(いほう)
大名などを他の領地へ移すこと。転封(てんぽう)。 国替え。