比治山神社 歴史

 


元々は比治山(ひじやま)の南の「黄幡谷」(おうばんだに)と呼ばれる谷に鎮座し、黄幡大明神(おおばんだいみょうじん)・黄幡谷と称していたが、正保3年(1646年)3月に真言宗勝楽寺(しょうらくじ)の境内に遷座し、その鎮守社とされた。寛文年間(1661年‐1673年)に現在地に遷座し、近隣の村の産土神として信仰された。明治神仏分離の際に勝楽寺と分けられ、鎮座地名から比治山神社に改称した。明治5年、村社に列格した。



昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾の投下により社殿を焼失し、昭和29年(1954年)に再建された。昭和34年(1959年)、神社本庁の別表神社に加列された。