福山八幡宮 歴史 福山八幡宮
昭和44年(1969年)に両者の法人格は合併され神社本庁所属の別表神社となり社名は「福山八幡宮」と改められた。両社の本殿は共に建造当時のまま今日まで残されているが、間を隔てる聡敏神社は昭和59年(1984年)の中央拝殿建設により西御宮裏(北西部)に移され、本殿の周囲も舞台の新設を始めとする大規模な整備が行われ創建時から大きく姿を変えた。中央拝殿正面の舞台は巨大な貯水タンクになっており、初期消火に必要な水量(最大水量にて30分連続放水可能)を常に蓄えている。この中央拝殿は御鎮座300年の式年記念事業により建てられたもので、両社の中間に位置し、東西の本殿を同時に参拝できるようになっている。