沼名前神社 境内

 


社殿前に建てられている石燈籠は、江戸時代慶安4年(1651年)に福山藩3代藩主の水野勝貞(みずの かつさだ)から寄進されたものである。総高3.24メートル。六角形の台座の上に、直径47.4センチメートルの竿石(さおいし)、さらに中台(ちゅうだい/なかだい)・火袋(ひぶくろ)・笠石(かさいし)・宝珠(ほうじゅ)が置かれる大形なものである。近世初頭の社前献灯としては標本的な燈籠であるとして、福山市指定重要文化財に指定されている。



境内の八幡神社隣には、20個の力石がある。これらは全て花崗岩製で、楕円状、重さは230キログラムから118キログラムである。各石には銘があり、うち制作年代がわかる5個は天保15年(1844年)から安政5年(1858年)である。鞆は海運の町であり、祭礼の場で力を競い奉納したものとされる。これらの力石は、近在の住吉神社の3個とともに「鞆ノ津の力石」として福山市指定有形民俗文化財に指定されている。



また本社社殿の一段下には、桃山時代の能舞台が建てられている。舞台の構造は桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、妻入、柿葺。元は伏見城内にあって豊臣秀吉も愛用したという組立式の舞台であり、福山藩初代藩主の水野勝成(みずの かつなり)が現在の福山城伏見櫓等とともに2代将軍・徳川秀忠から拝領し、福山城に移設したという。万治年間(1658年-1660年)、3代藩主の水野勝貞が当社に寄進したのち、元文3年(1738年)に現在見られる固定式に改められた。組立式の様式は随所に見られ、各部材には番号・符号が振られており、戦場にも持ち運べるものであるとされる。正面の鏡板に描かれる松と竹は、当初よりの絵である。ただし、現在見られる橋掛り(はしがかり)・楽屋等は当時の建物ではない。この能舞台は、桃山時代の特徴を持つ貴重なものであるとして、国の重要文化財に指定されている。



境内最下段に建てられている第二鳥居(二の鳥居)は、江戸時代の寛永2年(1625年)に水野勝重(みずの かつしげ。のちの2代藩主 水野勝俊(みずの かつとし))が長子(のちの3代藩主水野勝貞)の誕生に際して、この健康を願い寄進したものである。形式は一般に見られる明神鳥居であるが、笠木の先端は丸味を付けて反り上がっており、さらに鳥衾(とりぶすま)が載せられた独特なものである。先端を反り上げるのは「肥前鳥居」によく見られる形式であり、鳥居の柱にある「大工 肥前之住人中島弥兵衛」の銘との関係が指摘される。この鳥居は広島県指定重要文化財に指定されている。