太皷谷稲成神社 歴史
安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主 亀井矩貞(かめい のりさだ)が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。現在は「日本五大稲荷」を称している(他の4社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)・竹駒神社(たけこまじんじゃ)・祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ))。
昭和10年(1935年)に郷社に列格した。拝殿、本殿は昭和44 年(1969)に建て直された。