要石 伝承
鹿島神宮の要石は、「山の宮」、「御座石(みましいし)、石御座(いしのみまし)」と呼ばれる。日本神話の葦原中国平定において、天津甕星(あまつみかぼし。天香香背男(あめのかがせお))は平定の大きな妨げになった(日本書紀、巻第二神代下、第九段一書の二)。天香香背男討伐にあたり、経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神は建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わす(日本書紀、巻第二神代下、第九段本文)。鹿島神宮社伝によれば、武甕槌神は見目浦(みるめのうら)の磐座に降り、天香香背男討伐のため建葉槌命を派遣した。神が降りた磐座が現在の要石、住居が鹿島神宮の原型であると伝えられる。
『鹿島宮社例伝記』によれば、鹿島社要石は仏教的宇宙観でいう、大地の最も深い部分である金輪際(こんりんざい)から生えている柱と言われ、この柱で日本は繋ぎ止められているという。同じ設定を持つ場所に琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)がある。また、日本書紀では「鹿島動石(ゆるぐいし)」「伊勢大神宮」など、漂う日本を大地に繋ぎ止める「国中の柱」とされる場所が全国に点在しているとされていた。『詞林采葉抄』(しりんさいようしょう)などの文献資料から、神仏習合を経て14世紀中頃に要石のイメージは固まったと見られる。
地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰(おおなまず)あるいは竜を押さえているという。あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したともいう。 龍は柱に巻き付いて国土を守護しているとも言われる。
そのためこれらの地域には大地震がないという。ただし、大鯰(または竜)は日本全土に渡る、あるいは日本を取り囲んでいるともいい、護国の役割もある。なお、鹿島神宮と香取神宮は、日本で古来から神宮を名乗っていたたった3社のうち2社であり(もう1社は伊勢神宮)、重要性がうかがえる。
鹿島神宮の要石は大鯰の頭を押さえると伝えられる。香取神宮の要石は尾を押さえているという。あるいは、2つの要石は地中で繋がっているという。
要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(表記は各種あるが鹿島神社に倣う。通称鹿島様)だといわれる。ただし記紀にそのような記述はなく、後代の付与である。建御雷命(武甕槌神)は葦原中国平定で国津神を悉く鎮め平らげたことから、大地を要石で押し鎮めたという伝説が生まれたとされる。武甕槌大神は武神・剣神であるため、要石はしば剣にたとえられ、石剣と言うことがある。鯰絵(なまずえ)では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれる。