犬神人 活動
先述の墓所破却以前にも犬神人によるものかは定かではないが 祇園社家が承久元年(1219年)に犯科人の住宅を破却している。 康永4年(1345年)には夢窓疎石の天龍寺(てんりゅうじ)供養に天皇の臨幸を仰いだ事に憤激した山門延暦寺大衆が犬神人に仰せ付けて破却しようとしている。 このように犬神人の用務は一向宗・法華宗・禅宗などの宗徒住所破却など、山門の他宗弾圧の尖兵としての使役が多い。
その他、正平7年(文和元年/1352年)頃の『祇園執行日記』(ぎおんしゅぎょうにっき)に散見する犬神人の用務は、境内触穢物取捨清掃、祭礼の警護、社家および山門の検断(けんだん)の住居破却の執行、地子(じし、ちし)などの譴責(けんせき)などである。時には数十人の犬神人が催集されており、度々の用務に「疲労」と称して出てこないこともあった。この記録の存在の他、祇園社が山門を背景に犬神人の新たな編成に乗り出したためか、南北朝時代には犬神人の活動が夥しく見られる。
譴責(けんせき)
規則に反した者や信用失墜行為を行った者などに対し、始末書を書かせて提出させ、戒めること。