竈山神社 竈山墓(かまやまのはか)

 


竈山墓(かまやまのはか)は、竈山神社の本殿後背にある古墳。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により彦五瀬命の墓に治定されている。公式形式は円墳。高さ約9メートルの独立丘上に位置し、墳丘は直径約6メートル、高さ約1メートルで、裾に護石を配する。



古事記』『日本書紀』では、彦五瀬命は「紀国之竈山」または「紀伊国竈山」に葬られたと記載されている。『延喜式諸陵寮では「竈山墓」と記載され、紀伊国名草郡にあり、兆域(墓域)は東西1・南北2町で守戸3烟を付して遠墓としている。『延喜式』において紀伊国唯一の陵墓である。その後康和2年(1100年)の解状では、紀伊国等の陵墓は格式に規定されているにも関わらず、国司によって兆域侵犯や陵戸収公が行われていると記している。



上記の記録があるものの、その後竈山墓の所在地は不明となった。『紀伊続風土記』では寛文9年(1669年)に区域を定めて殺生を禁じたというが、これは神社の区域を定めたものであり、竈山墓の所在自体はなお不明であった。寛政6年(1794年)に本居宣長とともに竈山神社を参拝した本居大平(もとおり おおひら。宣長の養子)は、所在不明の旨を「なぐさの浜づと」に記している。明治9年(1876年)に現在の古墳が「竈山墓」に治定され、明治14年(1881年)に修営された。