湊川神社 歴史 創建史 祭礼
1868年(明治元年)5月25日には初めての政府主催の楠公祭(なんこうさい)を京都の河東操練場で行った。まだ楠社造営は始まっていなかったが、楠公祭祀が国家で行われることが決まった以上、民間で盛んになっている楠公祭を国会祭祀に取り込む必要があったのである。湊川神社の例祭を創建に先駆けて始めたと見ることもできる。祭場が京都だったのは先に見た徳川慶勝の請願を何らかの形で聞き入れる必要があったからかもしれない。同祭は5月23日に布告され、諸官員は参拝することとし、一般人の参拝を許し、有志の者の詩歌の献納や兵隊の操練を披露することも許可された。楠公祭当日には神祇官知官事 鷹司輔煕(たかつかさ すけひろ)、同副知官事 亀井茲監(かめい これみ)、同判官事 植松雅言(うえまつ まさこと)、同判官事 福羽美静(ふくば びせい/よししず)、同権判官事平田延胤(ひらた のぶたね)などが参列した。なお、翌年から創建までの楠公祭は、墓所の西方に仮神座を設けて行われた。