中臣寿詞 内容
内容が分かる主な寿詞としては次の2種がある。
o 天仁(てんにん)元年(1108年)の鳥羽天皇の大嘗祭での寿詞
大中臣親定(おおなかとみの ちかさだ)が奏上。現存の寿詞では最古(ただし応永8年(1401年)の書写)。「神宮祭主藤波家文書」の中に存する。
o 康治元年(1142年)の近衛天皇の大嘗祭での寿詞
大中臣清親(おおなかとみの きよちか)が奏上。『台記別記』(たいきべっき)において「中臣寿詞」として収録。
前者は近年に発見された寿詞であり、かつては後者の方が本居宣長が『玉勝間』(たまかつま)で初めて紹介して以来よく知られていた。いずれも12世紀に奏上されたものであるが、内容は上古とほとんど変わらないと推測される。
その内容は、天孫降臨での中臣氏祖神(天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)の働きについて述べたのち、大嘗祭での悠紀(ゆき)・主基(すき)の卜定と天皇の御代の寿ぎを述べ、最後に寿詞を拝聴する者への下知の形をとる。特に天皇を「大倭根子天皇」(おおやまとねこのすめらみこと)と称する点や、『古事記』・『日本書紀』には見えない天忍雲根神に関する中臣氏独自の伝承が記される点が注目されている。