中臣寿詞(なかとみのよごと)
中臣寿詞(なかとみのよごと、中臣の寿詞)は、古代日本での天皇の即位式および大嘗祭(だいじょうさい)において、中臣氏によって奏上された寿ぎ詞(ほぎごと)。「天神寿詞(あまつかみのよごと/あまのかみのよごと)」とも。
寿詞(よごと、賀詞)とは「天皇を寿ぐ言葉」を指す。中臣寿詞の場合、元々は「天神寿詞」と称される詞であったが、神事・祭祀を掌る中臣氏(なかとみうじ。のち大中臣氏(おおなかとみうじ))が奏上することから「中臣寿詞」と称されるようになった。文体は祝詞と同様に宣命体。類例に出雲国造が奏上した寿詞である出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)が知られる。
中臣寿詞の奏上制度の成立は詳らかでない。古くは『日本書紀』において、持統天皇4年(690年)の天皇即位に際して物部麻呂(もののべの まろ。石上麻呂(いそのかみの まろ))は大盾を立て、中臣大嶋(なかとみの おおしま)は「天神寿詞」を読み、忌部色夫知(いんべの しこぶち)は神璽の剣鏡を奉ったことが記されている。翌年の持統天皇5年(691年)にも、大嘗祭において中臣大嶋が「天神寿詞」を読んでいる。
飛鳥時代・奈良時代に定められた「大宝令」や「養老令」の神祇令では、践祚(せんそ。天子の位を受け継ぐ)の際に中臣氏が「天神之寿詞」を奏上する旨と、忌部氏が「神璽之鏡剣」を奉る旨とが定められている。平安時代に入っても、『貞観儀式』や『延喜式』において同様の旨が定められていた。