道饗祭 文献 公事根源と西宮記
疫病神の災厄をはらう祭典の内に、陰陽寮(おんみょうりょう)の四角四境祭(しかくしきょうさい)がある。室町中期成立、朝廷における年間行事や儀式の由来・沿革を述べた『公事根源』(くじこんげん。一条兼良(いちじょう かねよし)・著書)では、道饗祭を「鎮火道饗の祭を四角四境の祭とも申也(もうすなり)」と記しているが誤りで、鎮火祭も道饗祭も四角祭(しかくさい)や四境祭(しきょうさい)とは別の祭である。
平安中期成立、朝廷儀式の作法や制度などを述べた『西宮記』(さいぐうき。源高明(みなもとの たかあきら)・著書)によると、疫病の兆しがあった歳に臨時に都の四隅で行う祭を「四角祭」、諸国の四境で行う祭を「四境祭(四界祭)」と呼んだものと記している。恒例的に神々を祀る祭を指してはいなかったが、後世の誤認により道饗祭や鎮火祭は一緒くたに纏められ解釈されていた。特に疫病が流行ると地方でも臨時に道饗祭を行ない、疫病神を祀る祭祀と誤解や混同が生じやすい環境にあった。
四界祭 - 陰陽寮向ニ四界一祭、以ニ蔵人所人一為レ使。
四角祭 - 陰陽寮向ニ宮城四角一祭、有レ使所人。
已上天下有レ疫之時、陰陽寮進ニ示度。科物官宣。
—『西宮記』(次田 2008年、p380より)
なお公事の他、民間信仰で疫病神の祭の種類は極めて多種多様に富み、広範囲で開催した。