和気清麻呂 後世
嘉永4年(1851年)3月15日、孝明天皇は和気清麻呂の功績を讃えて神階正一位と「護王大明神」(ごおうだいみょうじん)の神号を贈った。明治7年(1874年)、神護寺の境内にあった清麻呂を祀った廟は護王神社(ごおうじんじゃ)と改称され別格官幣社に列し、明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前に遷座した。また、明治31年(1898年)3月18日には、薨後1100年を記念して、贈正三位から位階を進め、贈正一位とした。
また、出身地の岡山県和気町には、和気氏一族の氏神である和気神社(わけじんじゃ)があり、和気清麻呂・和気広虫が祀られている。配流先とされる鹿児島県霧島市にも和気神社(わけじんじゃ)がある。なお、宇佐へ配流の際に猪によって難事を救われたとの伝説が宗佐厄神八幡神社(そうさやくじんはちまんじんじゃ)・御祖神社(みおやじんじゃ)・葛原八幡神社(くずはらはちまんじんじゃ)・足立山(あだちやま、あだちさん)などに伝わる、護王神社・和気神社・御祖神社などでは狛犬の代わりに「狛猪」(こまいのしし)が置かれている。
清麻呂は楠木正成などとならぶ勤皇の忠臣と見なされることもあり、戦前には十円紙幣に肖像(想像図、キヨソーネの描いた木戸孝允の肖像画を修正したもの)が印刷された。東京都千代田区 大手町(おおてまち)の大手濠緑地(おおてぼりりょくち。気象庁付近)や、岡山県和気町の和気神社境内など、各地に銅像がある。
産経新聞は、皇統の断絶という日本最大の危機を救った人物と評した。