綸旨 沿革綸旨 沿革 1028年(万寿5年)4月12日付の仁海(にんがい)に充てた後一条天皇綸旨(醍醐寺三宝院(さんぼういん)蔵『祈雨日記』所載)が初出である 。特に院政を廃止した後醍醐天皇が綸旨を院宣(いんぜん)に替わる文書と位置づけた建武年間から南北朝時代にかけて著しい量の綸旨が出され、史料としても重要なものが多い(建武の新政)。一方では、二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)に「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨・・・」とあるように綸旨の偽造も横行した。