知立神社 歴史 創建
社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊(やまとたけるのみこと)が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の上記4柱を祀ったのが創建という。一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説もある。
江戸時代まで当社を氏神として祀っていた永見(ながみ)氏一族の『永見氏家譜』によれば、その出自について饒速日命(にぎはやひのみこと)後裔で知波屋見命(知波夜命(ちはやのみこと):初代三河国造)十五世孫の三河姓貞連が、白鳳2年に天武天皇の勅命により知立神主になったとしている。
なお、当初の鎮座地は東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる。一時上重原(かみしげはら)を経て、現在地に移ったのは天正元年(1573年)になるという。