富知六所淺間神社 歴史

 


孝昭天皇2年6月10日、富士山山腹に創建と伝えられる。その後、噴火のため延暦4年(785年)に現在の地に遷座したとされる。崇神天皇により四道将軍として派遣された建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)は、当社を厚く崇敬し勅幣を奉った。大同元年(806年)、富士下方五社を勧請する際に、当社はそれらの首座と定められた。その後、下方五社の別当である富士山東泉院(ふじさんとうせんいん)の支配を受けた。中世、周辺に市が立ち、「三日市浅間」(みっかいちせんげん)と呼ばれるようになった。



明治5年に郷社に列せられ、富知六所淺間神社に改称した。「富知」とつけたのは、当社が延喜式神名帳に記載される「駿河国富士郡 富知(ふち、ふぢ)神社」に比定されたためである(他に富士宮市内の「富知(ふくち)神社」も論社となっている)。