吉備武彦 考証

 


『日本書紀』応神天皇22年9月条と『日本三代実録』元慶3年10月条との記述から、吉備地域を治めた諸氏族、すなわち下道臣(しもつみちのおみ)・上道臣(かみつみちのおみ)・ 香屋臣(かやのおみ)・三野臣(みののおみ)・笠臣(かさのおみ)・苑臣(そののおみ)らの実質的な始祖に吉備武彦が位置づけられていたと見られる。また、吉備武彦こそが吉備氏の上祖(始祖)に相当し、記紀において吉備氏の祖とされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)・稚武彦命(系譜上における吉備武彦の祖)兄弟は、皇室と吉備氏のつながりを設定するために吉備武彦の名を分割して創作された架空の人物であるとする説もある。



そのほか、ヤマトタケル伝説に吉備武彦が参加していることから、この伝説の作成に吉備氏が関与しているという指摘もある。