吉備武彦 系譜

 


吉備武彦の出自について『日本書紀』に記載はない。『新撰姓氏録』では、左京皇別 下道朝臣(しもつみちあそみ)条・右京皇別 廬原公(いおはらのきみ)条で稚武彦命わかたけひこのみこと。第7代皇霊天皇皇子)の孫とし、右京皇別 真髪部(まかべ)条では稚武彦命の子とする。



子については、『日本書紀』景行天皇51年8月4日条において、娘の吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)が景行天皇(第12代)のとなって武卵王(たけかいごのきみ)と十城別王(とおきわけのきみ)の2子を産んだと見える。また『日本書紀』応神天皇22年9月10日条・『日本三代実録元慶3年(879年)10月22日条では、子として浦凝別(うらこりわけ。苑臣(そののおみ)祖)・御友別みともわけ。吉備臣(きびのおみ)祖)・鴨別かもわけ。笠臣(かさのおみ)祖)・兄媛(えひめ。応神天皇妃)らの名が記されている。