井伊谷宮 歴史

 


明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社が次々に作られた中の一つである。彦根藩知藩事井伊直憲(いい なおのり)が井伊谷に宗良親王を祭る神社創建を出願し、明治2年(1869年)にその手伝いをするよう命じられた。井伊谷は井伊氏発祥の地で、宗良親王は井伊道政(いい みちまさ)井伊高顕(いい たかあき)に助けられ、この地で死んだと伝えられていた。翌明治3年(1870年)の春に完成した神社は、はじめ宗良親王御社(みやしろ)といったようだが、明治5年(1872年)1月23日に井伊谷宮に改称になり、2月12日に鎮座祭が神祇省の役人によって行なわれた。



初め社格がなく、神官を置かず、宮内省式部寮の役人が祭祀を執行していたが、明治6年(1873年)6月9日に白峯宮(白峯神宮。しらみねじんぐう)、鎌倉宮(かまくらぐう)とともに官幣中社に列せられた