両面宿儺 岐阜県の在地伝承 ③
下呂市金山町の伝承
『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った飛騨の豪族両面宿儺は、八賀郷 日面(ひおも)出羽ヶ平(でわがひら)を出て金山(かなやま)の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したという。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大陀羅尼(だいだらに)を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいう。
両面宿儺 岐阜県の在地伝承 ③
下呂市金山町の伝承
『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った飛騨の豪族両面宿儺は、八賀郷 日面(ひおも)出羽ヶ平(でわがひら)を出て金山(かなやま)の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したという。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大陀羅尼(だいだらに)を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいう。