両面宿儺 岐阜県の在地伝承 


高山市の伝承

元和(げんな)7年(1621年)の奥書を持つ『千光寺記』には、高山市丹生川町(にゅうかわちょう)下保(しもぼ)にある袈裟山千光寺(けさざん せんこうじ)の縁起が記されている。これによれば、仁徳帝のころ飛騨国に宿儺という者があり、八賀郷日面(ひよも)出羽ヶ平(でわがひら)の岩窟中より出現した。身のたけは十八丈、一頭に両面四肘両脚を有する救世観音(ぐぜかんのん)の化身であり、千光寺を開いた。このとき山頂の土中に石棺があり、法華経一部・袈裟一帖・千手観音の像一躯を得たという。同じく丹生川町日面の善久寺(ぜんきゅうじ)の創建も両面宿儺大士(りょうめんすくなだいじ)と伝え、本尊釈迦如来のほかに両面宿儺の木像を安置する。また、位山くらいやま、高山市 一宮町(いちのみやまち))の鬼「七儺」(しちな)を、両面宿儺が天皇の命により討ったともされる。位山の付近には飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)があるが、享保年間に編纂された『飛州志』(ひしゅうし)では神宝の一つとして「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として鬼神七難が神威により誅伐された伝承を記す。