岐阜護國神社 歴史
岐阜県内には、1870年(明治3年)に大垣城(おおがきじょう)内に大垣招魂社(後の濃飛護国神社(のうひごこくじんじゃ))、1909年(明治42年)に高山城址に飛騨招魂社(後の飛騨護国神社)が創建されていたが、岐阜市ほか10郡には招魂社がなかった。日露戦争後の1908年(明治41年)、岐阜市校外の稲葉郡 北長森村(きたながもりむら。現・岐阜市野一色)に陸軍歩兵第68聯隊(連隊)が設置され、1917年(大正6年)に稲葉郡那加町(なかちょう。現・各務原市)に陸軍各務原飛行場が開設されると、当地出身の殉国者を祀る招魂社建立の機運が高まった。1918年(大正7年)に歩兵第68聯隊は岐阜県知事、市町村長及び在郷軍人などの有志と共に招魂社の創建を企画したが実現しなかった。
1937年(昭和12年)の支那事変勃発に伴い、1939年(昭和14年)3月10日に2市10郡209ケ村の代表者が内務省へ創立を出願し、内務大臣から創立許可を受けた。翌1940年(昭和15年)11月に社殿が竣工、同19日に鎮座の儀、翌20日に幣帛供進の儀が執り行われて創建された。なお、1939年(昭和14年)4月1日に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年3月15日内務省令第12號)により、招魂社は護國神社と名称が改められていたので、創建当初から「岐阜護國神社」と称し、内務大臣指定護国神社に指定された。
第二次世界大戦後の一時期は美濃御霊神社(みのごりょうじんじゃ)と改称していたが、主権回復後は元の名に復した。1995年(平成7年)には終戦50周年事業として外拝殿(げはいでん)が竣工している。