五十瓊敷入彦命 伝承

 


伊奈波神社いなばじんじゃ。岐阜県岐阜市)の社伝によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を承けて奥州を平定したが、同行した陸奥守豊益(むつのかみ とよます)が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、命に謀反の心ありと讒奏した。そのため、朝敵として攻められて同地で討たれたという。さらに、夫の死を知った妃の渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと:景行天皇の皇女)は、都を離れてこの地で御跡を慕い、朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。

 

 


※ 讒奏(ざんそう)


天子に他人の悪口を奏上すること。転じて、告げ口。中傷。