富士塚 歴史

 


富士塚は、1780年安永9年)に高田四郎(たかだ とうしろう。日行)が江戸の高田水稲荷(たかだみずいなり。高田水稲荷神社(たかだみずいなりじんじゃ))の境内に建てたものが最古であるとされる。この富士塚は文化財となっており、富士講や富士信仰を知る上で重要な史跡であったが、1964年昭和39年)頃に早稲田大学のキャンパスを拡張(現在の早稲田大学9号館)する際に破壊され、近隣の水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)に移築されている(現在は富士講が行なわれる日にのみ入ることができる)。一方で、当時の場所に現存する富士塚としては東京都渋谷区千駄ヶ谷鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんじゃ)境内にある千駄ヶ谷富士(後述の江戸八富士の一つ)が都内最古のものとなっており、東京都の有形民俗文化財にも指定されている。



江戸時代の中期に富士信仰が盛んになると、江戸を中心に多くの富士講が生まれ、それに伴い富士塚も多数つくられ、現在東京都内には約50か所に存在するとされる。 当時は「江戸八百八町講中八万人(えどはっぴゃくやちょう こうちゅうはちまんにん)と言われ、江戸市中の有名な富士塚は特に「江戸八富士」と呼ばれた。また、各地に点在する富士塚は庶民から「お富士さん」などと呼ばれ親しまれていた。