福井神社 由緒

 

福井藩16代の藩主で、福井藩の藩政改革を行い、明治維新の際には徳川親藩・譜代大名の尊王派の中心人物となった松平慶永(まつだいら よしなが、松平春嶽(まつだいら しゅんがく))を祀る神社として、昭和18年(1943年)に創建された。これが日本最後の別格官幣社の指定となった。



社殿は総檜造りであったが、創建からわずか2年後の昭和20年(1945年)7月19日の第二次世界大戦の戦災で焼失した。昭和32年(1957年福井大学工学部の設計により再建された。総コンクリート造りで、表面はコンクリート打ち放し神明造を大幅に変形した傾斜の無いフラットな屋根という、一般的な神社とは大きく異なる独特の様式で全ての建物が統一されている。社殿前の大鳥居(二の鳥居)も、同じく福井大学工学部の設計によって再建されたもので、貫(ぬき)がない特殊な形をしている。



境内の摂社・恒道神社には、幕末の福井藩士、中根靱負なかね ゆきえ。号 雪江(ゆきえ))・鈴木主税すずき ちから。号 純渕)・橋本佐内(号 景岳(けいがく))が祀られている。