尾山神社 祭礼
1891年(明治24年)は前田利家による金沢城修築(1592年(天正20年))より300年目であったため、初代金沢市長・稲垣義方(いながき よしかた)らが金沢城修築三百年祭を行なうことを提案し、同年10月11日-15日に行なわれた。11日の祭典には、前田利嗣(まえだ としつぐ)夫妻も出席して執り行われた。祭典費として利嗣は1000円を寄付している。また天皇は幣帛料20円を下賜している。13日には初めての神輿渡御がかつての前田家行軍式(備押)を模して行なわれた。
1899年(明治32年)は、前田利家の死後300年にあたり、前田家の旧家老八家であった本多政以(ほんだ まさざね)・横山隆平(よこやま たかひら)・長克連(ちょう かつつら)らの計画で、前田利家三百年祭(封国祭)が行なわれた。期間は4月27日から5月3日の7日間であった。29日に前田利嗣を祭主に、前田利同を副祭主にして祭祀が執り行われた。石川県知事・志波三九郎(しば さんくろう)が奉幣使として参列した。神輿渡御が1日2日に行われたが、大盛況だったという。
現在毎年6月中旬に行なわれている百万石まつりは1923年(大正12年)より封国祭にあわせて金沢市祭として行なわれるようになった奉祝行事に起源するものである。終戦により、尾山神社奉賛会が主催となり市祭としては行なわれなくなったが、1952年(昭和27年)より金沢市と金沢商工会議所が中心となって行なわれている。