菅生石部神社 歴史
社伝によれば、用明天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるという。延喜式神名帳では小社に列し、加賀国二宮とされた。古来より朝廷・武門からの崇敬が篤く、天慶3年には正四位下の神階が授けられた。『平家物語』巻七には、木曽義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したとの記述がある。中世には、一帯は北野天満宮の社領となっていた。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で境内に牛の像が残っている。
明治29年(1896年)に国幣小社に昇格した。
京都の敷地神社(しきちじんじゃ。わら天神)は、当社からの勧請である。