国府祭 祭事の流れ 座問答
正午になると、花火を合図に「座問答」の神事が行われる。忌竹(いみだけ)で四方を固めた場所で、神を憑依させた一宮・寒川神社と二宮・川勾神社の神主が交互に三回ずつ、虎の皮を祭壇に無言で近づけることにより闘争(上座を占めようとする意思)を表現し、三之宮・比々多神社の神主が「いずれ明年まで」と仲裁の声を上げて神事を終える。この「座問答」と呼ばれる闘争を1,000年以上行っているとされる。
一般的には、相武(さがむ)と磯長(しなが)という2つの国を合併して相模国ができた際、相武国最大の神社である寒川神社と磯長国最大の神社である川匂神社、そのどちらを合併後の相模国一宮にするかで起こった論争の様子が、国府祭の座問答になったと言われている。これに従うなら、『一宮ノオト ノオトその17』が指摘するように、相武と磯長が合併した7世紀には、痛切よりも早く相模国に一宮・二宮の制度があったことになる。
『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』では、ほとんど無言の神事なので禅問答だとする説を紹介した後、「座問答」が終わると櫛稲田姫命を祀る六所神社へ七度半の迎えを立てることから、この神事は婿になる神の先陣争いの表現であろうと考察している。
「座問答」と同じ頃、六所神社では「大神輿宮立祭典」が行われる。