伊勢山皇大神宮 歴史 神奈川県との関係

 


伊勢山皇大神宮は、県知事 井関盛艮(いせき もりとめ)により創建され、その建白により国から神奈川県宗社と定められた。また伊勢山の丘は、県庁の前身である神奈川奉行所が、かつて所在した場所である。神宮はその始まりに於いて県と密接な繋がりがあったが、この関係は以降も続いていく。県知事の着任・離任に際しては、神宮に参拝し奉告祭を執り行うのが慣例となり、5月の例祭では、代理官を立てず知事自ら装束をまとい幣帛供進使を務めることも珍しくはなかった。神奈川県には護国神社が建立されなかったが、その役割は伊勢山が担っており、秋には西南戦争以来の県の戦没者慰霊祭が執り行われていた(「横浜沿革誌」)。大正期には、県の殉職警察官・消防官の慰霊祭も行われ、その奉納行事として撃剣競技の大会も開催された。戦時下になると、県主催の戦勝祈願祭や戦勝奉告祭(ほうこくさい)が度々行われることになる。かつては県の宗社として、県公式の祭祀の場としての性格が極めて強かったのである。