伊勢山皇大神宮 歴史 創建
1870年(明治3年)、一寒村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展した。神奈川県はキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考えた。 そのため、元々戸部村(とべむら)海岸伊勢の森の山上にあった神明社を同年4月に現在地の野毛山(のげやま)に遷座した。この地が選ばれた理由について、明治7年建立の伊勢山碑には「諸外国の商館が賑わうさまや、我が国の船の高い帆柱が湾内に林立する様子が手に取るように見える。かかる文明開化の時に際してこの場所を整備し神霊を祀れば、神もこの誠意をお受け下さることと思う。」とある。同年11月、当時の神奈川県知事 井関盛艮(いせき もりとめ)が太政官と神祇官に建白書を提出した。 建白書は当社を伊勢神宮の遥拝所とし、県内の総社たる規模に整備することを願い出るものであり、翌月許可されて「官幣国幣社等外別格」という官国幣社に準ずる社格を受けると、境内施設の拡充を進めた。 その後、開港場である長崎・神戸にも同様の神宮遥拝所が作られることとなった。しかし、これらが1876年(明治9年)3月の教部省達八号にある「拝所のみ設けて神霊を鎮めざる」まさに「遥拝所」に該当するのに対し、伊勢山の場合は天照大御神の神霊が鎮まる正式な神宮であることから、その後の公文書では伊勢山に対して遥拝所の呼称は用いられず、伊勢の神宮に倣い、「皇大神宮」と称された。