相撲 相撲の歴史 平安時代 ①
l 王朝
宮廷では各地から相撲人を選出し、相撲大会を催した。天皇が出御した行事を節会(せちえ)と称し、天皇御覧の元に相撲を行ったため、「相撲節会(すまひのせちえ)」と呼んだ。当日は「召合(めしあわせ)」と言う十数番までの取組があり、紫宸殿(ししんでん/ししいでん)の庭で行われ、その後には近衛府(このえふ)による「相撲の還饗(かえりあるじ)」というもてなしが開かれた。
当初は、当麻蹴速(たぎまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の相撲対戦にちなんで7月7日に催したが、弘仁15年(824年)7月7日に平城(へいぜい)天皇が崩御、命日と重なり7月16日に日程を改める。しかし、平安中期にはまた別の諸事情により、開催日は7月下旬が慣例となった。
平安後期になると相撲節会は徐々に衰微して行き、承安4年(1174年)以降は行われなくなり、宮廷行事としての相撲大会は終結する。
相撲節会を行った旧暦の7月は凡そ現在の8月であり、時期が秋の収穫前であったことと、古来より相撲には五穀豊穣の祈願と作柄を占う、神事の意味が存在したことから、相撲節会も同様の儀礼を基底に催したと捉えられている。