大宮八幡宮(杉並区) 歴史

 


現在大宮八幡宮がある一帯は大宮遺跡とされ、東京都内で初めて方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が発掘された地としても知られる。ここから、この神社の鎮座以前からこの一帯が聖なる地とされてきたと推測される。



前九年の役のとき、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義は、奥州に向かう途中、武蔵国にて空に八条の白雲が棚引いているのを見たとされる。これを源氏の白旗が翻ったかのように見た頼義は「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜びこれを吉兆とし、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣したという。頼義は、乱を平定した後の康平6年(1063年)に、八条の白雲を見た地に石清水八幡宮の分霊を祀り、神社を創建したとされる。



貞治(じょうじ)元年12月17日1363年1月10日)の記録によると地元の阿佐ヶ谷(あさがや)氏は熊野権現檀那であり、大宮八幡宮の住僧は先達だったと推定される。



天正19年(1591年)に徳川家康から社領30を寄進された。また、結城秀康の夫人である清涼院(せいりょういん)により、社殿が造営された。江戸時代の敷地は境内を除いて60,000坪におよび、境内末社7社の他、2離れた堀之内別当寺大宮寺(おおみやでら)があった。



明治維新後、35,000坪が押収された。



昭和56年(1981年)、それまでの「大宮八幡神社」を改めて「大宮八幡宮」とした。