神田祭 江戸時代の神田祭の山車行列 ⑧
上にあげた順番では十番と十一番のあいだに、神輿の行列が入っている。当時の祭礼の行列は山王祭でも見られるように、まず大榊(おおさかき)が先頭、次に氏子町からの山車練り物、そして神輿という編成が普通であったが、これは天明3年(1783年)、神田明神の神主の要請でこのようになったものである。当時各町の山車練り物は夕刻になると道の途中で解散し、神輿はそのまま各氏子町を渡御したが、神輿の行列が最後にあると前方にある各町の山車が道を空けるのに時間がかかり、その結果神輿の帰社が深夜になってしまうという理由からであった。