三峯神社 歴史 ①
社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征中、碓氷峠(うすいとうげ)に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山(しらいわやま/しらいわさん)・妙法ヶ岳(みょうほうがたけ)・雲取山(くもとりやま/くもとりさん)の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山(みつみねさん)で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠(はたけやま しげただ)が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町(おがのまち)両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えた。しかし正平(しょうへい)7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興(にった よしおき)・義宗(よしむね)らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。