大杉神社 由緒 中近世 ②
享保10年(1725年)、「悪魔払え囃子」が始まり、その流布に伴って疱瘡(ほうそう)除けや水上交通の神として、関東一円と東北の太平洋側に信仰が広がった。源流は元和3年(1617年)、田中玄蕃(たなか げんば。ヒゲタ醤油の創業者)が紀州から十二座神楽とともに伝えたものという。「あんばさま(阿波様)」は、デジタル大辞泉に項目があり「千葉県から東北地方にかけての太平洋岸の漁村で信仰されている神」と説明されている。
安永7年(1778年)、神木の太郎杉が焼失した。
寛政10年(1798年)、火災により社寺ともに焼失した。
享和2年(1802年)、再び火災が起こった。
文化10年(1813年)、度重なる火災につき「復旧困難の趣御兼帯輪王寺九世の宮女心院一品公延法親王の御耳に達し金千両を賜せらる」(稲敷郡郷土史)、「一品親王(いっぽんしんのう)よりのお手許金壱千両の下賜にて現社殿を造営」(稲敷支部)とあり、再興した。直後の文化12年(1815年)の「総常日記」に「大杉明神をば、常陸坊海存をいはへるなりと云ふとぞ、宮居は今めかしあれど、いととにぎはし。(鹿島にも大杉社あり)」(大日本地名辞書)と記されている。遷座は文化13年(1816年)に行われた。
※一品親王(いっぽんしんのう)
律令制において皇親(天皇の親族。皇族)に対して与えられた最も高い品位(ほんい)である一品を与えられた親王のこと。広義では一品を与えられた内親王(一品内親王)も含まれる。