北舘神社(きただてじんじゃ)

 


北舘神社(きただてじんじゃ)は、山形県東田川郡 庄内町(しょうないまち)にある神社である。山形藩 最上(もがみ)家家臣の北楯大学助利長(きただて だいがくのすけ としなが)を祭神とし、大学様と通称される。

 

 



北舘大学助利長は慶長6年(1601年)に楯山城(たてやまじょう)城主となり、庄内平野東部一帯の灌漑を計画、慶長17年(1616年)に灌漑水路を完成させた。この用水路は「北舘大堰」(きただておおぜき)と呼ばれ、現在でも庄内平野東部の重要な水路となっている。利長が歿した寛永2年(1625年)の153年後の安永7年(1778年)、この水路の恩恵に与る住民たちが、利長の功績を賛えて狩川八幡宮の境内に利長を祀る祠を設け、「北舘水神社」(きただてすいじんじゃ)と称した。大正8年(1919年)、社殿を楯山城跡に遷して独立の神社となり、「北舘神社」に改称した。大正11年(1922年)に郷社に列し、昭和36年(1961年「)に神社本庁別表神社となった。昭和48年(1973年)現在地の笠山に新社殿を造営し遷座した。



昭和36年竣工の海上自衛隊護衛艦もがみ」には、当社の分霊が守護神として祀られていた。