金峯神社(鶴岡市) 歴史

 


大同年間(だいどう。806年 - 810年)、金峯山(きんぼうざん。金山、鎮山とも)の山頂にはじめて社殿が創建され、承暦年間(じょうりゃく/しょうりゃく。990年 - 995年)、大和国宇田郡の丹波守盛宗(たんばのかみ もりむね)出羽国に移る際に吉野金峯山(きんぷせん。金峰山)の神を勧請したと伝える。



奥州藤原氏はじめ歴代の領主が崇敬し、江戸時代には庄内藩祈願所とされた。神仏習合の時代には真言宗の修験道場として栄えていた。金峯山の周囲の虚空蔵山(こくぞうさん)、熊野長峰を含めた3山が熊野三所権現となった。さらに母狩山(ほかりさん)から摩耶山(まやさん)にいたる広大な山域は、逆峰(ぎゃくぶ)修験の場となった。



明治の神仏分離に際し、明治3年(1870年)に御嶽神社、明治10年(1877年)に金峯神社に改称した。明治9年に県社に列した。神仏分離の際に、山麓の青龍寺(しょうりゅうじ)真言宗寺院として金峯神社から分離した。