月山神社 由緒 ①

 


社伝によれば、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の第3皇子である蜂子皇子(はちこのおうじ)推古天皇元年(593年)に羽黒山(はぐろさん)を開山し、さらに同年、月山を開山して当社を建立したのだと言う。蜂子皇子は土地の人たちの面倒をよく見て、悩みや苦しみに耳をかたむけたことから「能除仙」(のうじょせん)と呼ばれるようになったとされる。



しかしながら、史料から考察する限り、開祖である能除仙と蜂子皇子が同一人物であると言う根拠は無い。また、磐舟柵(いわふねのき/いわふねさく)が3度目に修理された門無天皇4年(700年)から出羽郡(いではぐん)が建てられた和銅元年(708年)の間に越国(こしのくに)以北の夷征が行われたが、出羽の蝦夷征討が開始される前に出羽三山へ登ることは出来なかったと思われる。



新抄格勅符抄』の宝亀(ほうき)4年(773年)10月符では月山神に神封2戸が寄せられているが、これが月山神の史上における初見である。