宮城縣護國神社 歴史
日清戦争後の明治31年(1898年)に組織された昭忠会(しょうちゅうかい)を母体として、日露戦争中の明治37年(1904年)8月27日、現在地に「招魂社」(しょうこんしゃ)を建立し、大日本帝国陸軍・第二師団管下(仙台師管区:宮城県・福島県・新潟県)および山形県の戦死者の一部を祀ったのを起源とする。昭和14年(1939年)の内務省令により内務大臣指定護国神社となり、「宮城縣護國神社」に改称した。
昭和20年(1945年)7月10日の仙台空襲で社殿を焼失し、神体は市内の秋保神社(あきうじんじゃ)・仮宮に遷された。戦後の連合国軍占領期には、仙台城二の丸を中心に進駐した米軍に隣接し、「宮城神社」(みやぎじんじゃ)と称していた。昭和25年(1950年)国有地払い下げにより当社が本丸一帯を所有すると、仙台市は仙台城本丸の私有財産化に反対し、土地の一部を買い上げて公有財産化したが、当社所有地は残った。
進駐軍が去ると昭和32年(1957年)に社名を「宮城縣護國神社」に戻し、昭和33年(1958年)に伊勢神宮別宮「風宮」(かぜのみや)の旧社殿を移築して復興した。また、平成19年(2007年)10月には特攻勇士の像が建立された。
なお、第二師団の将兵・軍属の墓は、仙台市青葉区小松島の常盤台墓苑(ときわだいぼえん。旧・陸軍墓地)にある。