竹駒神社 歴史
社伝では、承和9年(842年)、小野篁(おの の たかむら)が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して創建したと伝える。後冷泉天皇の治世(1045年 - 1068年)に陸奥国を歴遊中の能因(のういん)が、竹駒神社の神が竹馬に乗った童の姿で示現したとして、当社に隣接して庵を結び、これが後に別当寺の竹駒寺(たけこまじ)となった。戦国時代には衰微していた当社に伊達稙宗(だて たねむね)が社地を寄進するなど、伊達家の崇敬を受け発展した。文化4年(1807年)には正一位の神階を受けた。
明治政府の神仏分離により、明治2年(1869年)、竹駒寺は少し離れた現在地に移転した。この際、国家神道の流れの中で、明神思想に基づく、武隈明神が否定され、これ以降、稲荷神が主祭神とされた。明治7年(1874年)、竹駒神社は県社に列格した。
かつての社殿は、1710年に仙台藩の5代藩主 伊達吉村(だて よしむら)によって造営されたもので、市の文化財に指定されたが、平成2年(1990年)11月21日未明、革労協(革命的労働者協会)の放火により焼失し、平成6年(1994年)に再建された。
「竹駒」という社名は、現岩沼市域の旧称「武隈」の転訛であり、もともとは、市内を流れる阿武隈川に由来する。