黄金山神社(石巻市) 信仰 

金華山信仰 金華山詣と金華山講 ②

 



また、各地に金華山信仰の為の金華山講と呼ばれる講が結成されたが、既存の講組織から転化したものもあったようで、中には巳待講(みまちこう)と称され巳日を中心に種々の宗教行為をそのまま伴っていたものもあった。講への加入は女人禁制の思想から男子に限られ、それも主として戸主層から構成されており、年に数回設けられる開講日には多く講員から輪番制で宿を定めて集まり、座敷床の間といった上座に金華山の掛け軸を掛けて祭壇とし、灯明を点して神酒を捧げ、講中で拝んでから精進料理での会食となる。遠隔の村落にあって経済的その他の理由から金華山詣が容易でない場合は、講を代表する代参者を選んだり(2人の場合が多い)、参詣を果たした代参者が授与された神札を講中に配布したりする。金華山詣が重ねられると、それを記念する石碑が村落の入り口や辻、鎮守社の境内等に建立される事があり、また弁財天を鎮守社境内に小祠として勧請したり屋式神として祀ったりする事もあった。各地の金華山講には結成以来存続するものや一定期間の後に解散したもの等、様々な相があるが、現代では宮城県を中心とする東北諸県を始め北海道千葉県に及ぶ大小併せておよそ500の講が存在し、大正10年(1921年)には黄金山神社が神社の再興と信仰圏拡大を図る目的で既存の講を編成し直した「永代講」(えいたいこう)の組織もある。



なお、金華山からの産金も有り得ず天平産金の史実も江戸時代中半には否定されてはいたが、明治・大正期に牡鹿郡一帯でよく歌われた遠島甚句(としまじんく)において「金華山には大箱小箱それにつづいて金もある」や「沖に大漁の風が吹けば島に黄金の花が咲く」と歌われ、同じく松坂ぶし(一名松島ぶし)において「東にあたりし金華山、あれは黄金の山じゃもの」と歌われたように、大正末期頃迄なお黄金で出来た島との幻想を抱く者も跡を絶たなかった。