黄金山神社(石巻市) 由緒 ①
社伝によれば天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年(750年)に神社として創祀されたという。則ち、奈良時代に国家事業としての東大寺毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ。いわゆる奈良の大仏)建立に際して鍍金に要する金の調達に苦慮していた大和朝廷の下に、天平21年(749年)2月、陸奥国から日本初となる金産出の報せとその金がもたらされたが、その産出地が金華山であり、翌天平勝宝2年(750年)、牡鹿連宮麿(おしかのむらじみやまろ)等が時の国守に産金を司る神を祀る神社の創建を申請して金華山に金山毘古神と金山毘売神の2柱を奉祀し、後に弁財天を本尊とする寺院となったといい、日本初の産金を祝して大伴家持が詠んだ短歌、
天皇(すめろぎ)の御代(みよ)栄えむと、
東(あづま)なる陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く
に見える「金花(華)」に因んで島(山)名としたと伝える。なお、弁財天については金華山の太平洋岸に漂着した天女を金華山の山頂と麓とに祀り、麓を弁財天堂(大金寺。だいきんじ)と山頂を竜蔵権現(りゅうぞうごんげん。龍蔵権現。現・大海祇(おおわたつみ)神社)と称したとも伝え、また、産出した金を朝廷に献上した百済王敬福(くだらのこにきし しょうふく)についても、牡鹿半島の北の付け根に近い女川町(おながわちょう)の御前浜(おまえはま、おんまえはま)に漂着したという伝説や、同地に住んでいたという伝えがあった。