ウカノミタマ 吉田家神道書

 


室町時代に神祇次官・吉田兼倶(よしだ かねとも)が著した『神名帳頭註』(じんみょうちょう とうちゅう)の伏見稲荷の条では、「本社。ウカノミタマ神なり。この神はスサノオの娘なり。母はオオイチヒメなり。ウカノミタマ神は百穀を播(ま)きし神なり。故に稲荷と名づくか。イザナギの御娘にこの名これ有り。」と記される。



また、同じく神祇次官の吉田兼右(よしだ かねみぎ)が著したといわれる『二十二社註式』の伏見稲荷の条では、「中社。ウカノミタマ命。この神は百穀を播きし神なり。一名をトヨウケヒメ命という。大和国広瀬大明神(ひろせだいみょうじん)、伊勢の外宮とは同体の神なり。ヒメ大明神と名づく。」と記されている。



平安・鎌倉時代の文献に登場する稲荷神は女神であるが、神名についての記述はなく、室町時代になり稲荷主神としてウカノミタマの名が登場する。 最古の稲荷縁起は『山城国風土記』逸文に記されるが、この伝承によると稲荷神は稲の神であるため、いつしか同じく稲の神格を持つウカノミタマのことと認識されるようになったのだろうといわれる。