和邇 実在生物に比定する説 ワニ説 ⑦
折口信夫(おりぐち しのぶ)が1942年文部省教学局『日本諸学講演集第4輯』収録『古代日本文学における南方要素』において述べた事の一部抜粋を示す。
何にせよ、古代人は「わに」という語及びそれ表す「わに」という動物を知っていたに違いない。ところで、「わに」という語を使っていた古代人の考えていた「わに」なる物は、現に我々の考えている「わに」と同じだったとしたら、我々の祖先は南方から来たに違いない。(略)ところが、やがて四十年も前になりましょうか。故 喜田貞吉(きだ さだきち)博士が、隠岐島へ行かれました。「わにを食べてきた」、こう言うことを申されました。それは鱶(ふか)のことでした。だから、神代の巻に出て来る「わに」は、実は鱶なんだ、と言うようなことを申し出されて、皆な一時それに賛成しました。(略)しかし考えて見ると、一体何故、「わに」と言う語が、南方の鰐魚を意味してはいけないか、と言うことです。(略)動物園にあるからこそ見ることができるのだ。その位の考えでしょう。昔の人は見ることは出来まい。(略)しかしそれは非常に短気な話で、日本民族の持った非常に広い経験というものを軽蔑しているのです。日本民族は昔から知り難い多くの獣を知っていました。我々は獅子だとか、本とうの虎だとか、象、鰐、或は又、なかつがみこういう風に色々な動物を知っておりますけれども、その知っていた理由は私には唯一点説明できるだけです。(略)恐らくある点まで知っている人もあったのだろうと思います。とにかく自分達は今見ることも出来ないけれども、聞いてもおり或は古い経験を語るものによって知っていたというような恐ろしいものを、あちらこちらで、待ち迎えて、祭りのときに訪れて貰う。(略)さすれば、我々の祖先が、「わに」を知っていたのも、不思議はない。唯まれ人神として来る場合ではなく、因幡の白兎が向う岸へ渡る為に鰐を騙したとか、海祇の宮から神を送り還し申しあげた、「さひもちの神」なるわにの物語とか、出雲風土記に見えた語臣猪麻呂の、鰐を仇として討ったとか、この前後の二つの物語には、鰐の大群が来たことが語られているのです。(略)そういう風に、我々の祖先の一部が長く鰐と馴染を重ねて来ておったので、日本の国に来ても、忘却に委する訣にはいかなかったのでしょう。(略)何故ならば鰐の物語、「因幡の白兎」の類型とか、或は小さな狡猾な動物鰐の口にのって殺されに行こうとしたのが、今度はあちらこちらに、鰐を騙して逃げ乍ら悪口するという類型。これは南の方では、一つの話になっていることが多いようです。そう言う物語はどうも日本の国以前に、我々の祖先が持って居って、此処に来て更に育てたものではなかろうかと言う気が、誰にもする筈だと思います。(文頭略)我々の持った文化を蔑みしたりすることを、一つの態度とするような情けない者もあります。(以下略)
まれびとは、折口の学説の中核を成す概念である。
戦後、ワニ説は、日本人の文化や日本人自身の起源の一つが東南アジアにあるとする説と相補的な関係となりさらに発展した。