和邇 実在生物に比定する説 ワニ説 

 


松本信廣(まつもと のぶひろ)は1942年『和邇其他爬蟲類名義考』において、日本民族が「気宇壮大な海国民であった」のに、その後「事象を国内の事例によって説明せんとする迂愚に陥った」、「島国根性の所産である」としてワニ説を論証している。サメ説が根拠とする出雲でサメをワニと呼ぶことについては、サメとワニの混同を示すだけで、意味がないとしている。松本は、南方でワニを意味する語として、マレー語のbuaya (buwaya)、ジャワのwu (h) aya、他 woea woae waia等50以上の地域における実例をあげ、音韻上の考察と呼称の地理的な分布から、bと母音で始まる語よりvまたはwと母音で始まる語の方が古いと推定できる事、古代日本における「邇」の発音の推定をもって、語形の変遷の推定まで行い、日本語のワニの語源が、南方のワニを意味する語にあることを論証した。さらに、各地に棲息する動物、ワニが単数か多数かの比較を行い、ワニがいない地域でワニがサメに変化した例はあっても、その逆はないことも示した。ワニだった話が日本に入った後、本来のワニがわからなくなり、サメに置き換えられたものとしている。さらに、兎と鰐の説話がインドネシアの説話の類似するだけでなく、出雲風土記の話、豊玉姫伝説など多くの物語の類話が南方にある事も記し、出雲風土記の類話が南方に存在する事は、すでに天明期の『紅毛雑話』に示されているとの実例も挙げている。背中が鋭角をなしたサメより、平たいワニと解した方が合理的であるとし、後に西岡秀雄(にしおか ひでお)が、この点を高く評価している。ワニとしての記憶があったため、サメ説の学者の否定にもかかわらず、ワニとする考え方が残ったことが、民間信仰の根強さを示しているとしている。