和邇 実在生物に比定する説 サメ説
因幡国(いなばのくに。現・鳥取県東部)を含む山陰地方の方言ではサメをワニと呼ぶ。歴史学者の喜田貞吉(きた さだきち)は、隠岐島の刺し身が「ワニ」と呼ばれることから、古事記神代巻のワニとはフカ(サメ)を指すとする説に賛成し、国定教科書編時に、因幡の白兎のワニをワニザメと表記した。中国地方の山陰では浜でも山間部でもサメを「わに」と呼び、山間部に伝わる「わに料理」はサメ・エイ等の魚を煮た料理である。
内田律雄(うちだ りつお。島根県埋蔵文化財調査センター)の説によれば、「和邇」は特に神格化されたシュモクザメを指し、他種の「さめ」と区別されていた。『古事記』「山幸彦と海幸彦」の段では、山幸彦が「一尋和邇」(ひとひろわに)の首に小刀をつけて返し、佐比持(サヒモチ)神と呼んでいるが、サヒは刀剣や農具の意味であり、その形状からシュモクザメが想定されるとする。シュモクザメを描いた線刻絵画は、西日本の各地(鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡や兵庫県北部の袴狭(はかざ)遺跡など)に発見されており、そこから窺える太古のシュモクザメ信仰と結びつけられるとする。
『日本書紀』でも山幸彦と海幸彦の物語がある第十段一書の第四において、「海神 所乘駿馬者 八尋鰐也 是 竪其鰭背 而在 橘之小戸」とあり、海神の乗る駿馬は「八尋鰐」で、その鰭(ヒレ)を背に立てて橘之小戸にいると記され、サメと読むことができる。
『肥前国風土記』小城郡条には、世田姫に会うため「海神 謂鰐魚」が佐嘉川(さかがわ)を遡上するとあり、『出雲国風土記』仁多郡条の戀山(したいやま)の由来に、「和爾」が阿井村の玉日女命に通おうと「川を遡上」したが、岩で川を塞がれたため恋しがったという話があり、『古事記』の「海の和邇」との比較から、川の和邇ともされる。サメはオオメジロザメやガンジスメジロザメの仲間が淡水でも生きられる。現在でも沖縄などの川でサメが捕獲されており、昭和51年(1976年)に静岡県下紙川で、河口から1.5kmほどのところでヨシキリザメ(メジロザメ科)が捕獲された。アマゾン川の上流3700km(ペルー)や、ミシシッピ川の上流3000km(米国イリノイ州)でオオメジロザメが発見された例もある。
なお、弥生時代の銅剣のうちにはサメの線刻画を持つものがあり、サメに関する信仰の存在は考古学的にも認められている。