竈門神社 歴史 概史 鎌倉時代以後
平安時代以後の当社は、神仏一体となって営まれた。その進展もあって室町時代からは「宝満宮」という名称も見られるようになる。その後は戦国時代の戦乱に巻き込まれ、勢力は大きく衰退した。
近世に入ると、筑前国を治めた小早川氏によって天正15年(1587年)から修験道の道場として再興され、慶長2年(1597年)には神殿・拝殿・講堂・行者堂(ぎょうじゃどう)・末社等が再建されたという。
代わって慶長5年(1600年)に入国した黒田長政からの崇敬も篤く寄進も受けたが、寛永18年(1641年)に火災によってほとんどの建物を焼亡した。慶安(けいあん)3年(1650年)、福岡藩2代藩主・黒田忠之(くろだ ただゆき)によって神殿・拝殿・講堂・神楽堂・鐘楼・行者堂が再建された。江戸時代を通して、社領は50石を数えていた。
明治に入り、神仏分離によって仏教色は一掃された。明治5年(1872年)近代社格制度では村社に列し、明治28年(1895年)に官幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。