竈門神社 社名について
当社は大宰府東北方の宝満山(ほうまんざん、標高829.6メートル)に鎮座するが、この宝満山は古くは「御笠山(みかさやま)」「竈門山(かまどやま)」と称されていた。うち「御笠山」の山名は、笠のような山容に由来する古いものといわれ、古くは神体山として信仰されたともいわれる。
もう1つの山名「竈門山」は、筑前国の歌枕(うたまくら)としても多く詠み込まれている。当社社伝である鎌倉時代後期の『竈門宝満大菩薩記』では、元は「仏頭山」(ぶっとうざん)「御笠山」と称されていたが、神功皇后の出産の時にこの山に竈門を立てたことに由来すると伝える。一方『筑前国続風土記』では、山の形がかまど(竈)に似ており、煮炊きの様子を示すかのように雲霧が絶えないことに由来するとする。そのほか、大宰府鎮護のためカマド神を祀ったとする説、九合目付近の「竈門岩」に由来するという説がある。
現在の「宝満山」の山名は、神仏習合に伴って祭神を「宝満大菩薩」と称したことによるとされ、その初見は13世紀末頃の古文書まで下る。